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伏黒甚爾『よかったな』意味は?死亡理由&復活・自害までを解説【呪術廻戦】

『呪術廻戦』で伏黒甚爾が「よかったな」と言ったのは、渋谷事変での彼の最期のシーンでした。穏やかな表情とともに紡がれたこの言葉は、息子への深い愛情を感じさせ、多くの読者の心を打ちました。

今回は、伏黒甚爾の「よかったな」という言葉の本当の意味や、彼が自ら命を絶った理由について詳しく解説します。

 

目次

伏黒甚爾「よかったな」と言った真意とは?

13巻113話で、伏黒甚爾は息子の恵に対して「よかったな」と言い残し、満足したような表情を見せた後、自ら命を絶ちました。これまで自分の利益だけを考えて生きてきた甚爾が、なぜ最後に他者を思いやるような言葉を口にしたのでしょうか?

 

伏黒恵が禪院家に売られなかったこと

甚爾はかつて、恵を禪院家に売り渡した際に「才能があれば幾分マシ」と語っています。その言葉から、禪院家が決して良い環境ではないことを知っていたのだと考えられます。禪院家は御三家の中でも特に厳しい環境であり、当主の座をめぐって実の子供を殺すほどです。伏黒の名を聞いた甚爾が「よかったな」と言ったのは、恵がそのような環境で生きることなく、「伏黒」として育ったことを喜んだからかもしれません。

 

五条悟が伏黒恵を引き取ってくれたこと

もう一つ考えられるのは、恵が五条悟に引き取られていたことを知ったからでしょう。五条家は五条悟の存在もあり、呪術界で非常に強い影響力を持っています。五条悟の元で恵が育ったことで、彼の安全が守られてきたことを甚爾は理解したのかもしれません。だからこそ、息子が五条悟の保護下にあったことを知り、「よかったな」と言い放ったのではないでしょうか。

 

自分と亡き妻に向けた言葉

最後に考えられるのは、この言葉が「自分と亡き妻」に向けられたものだという解釈です。甚爾は生前、亡くなる前の妻から恵の行く末を託されていました。妻を失ったことで甚爾は道を外れてしまいましたが、息子のことは常に心の片隅に残っていたのです。成長した恵と対面し、彼が無事に育ったことに安堵した甚爾は、心の中で亡き妻と自分自身に「よかったな」と語りかけたのかもしれません。

 

伏黒甚爾と妻の出会い

伏黒甚爾は、もともと呪術界の名門「禪院家」の出身です。しかし、彼は呪力を持たない天与呪縛の「フィジカルギフテッド」という特異体質を持っていました。そんな甚爾と妻がどのように出会ったかは明確に語られていませんが、禪院家を離れてから知り合ったと考えられます。

それまでの甚爾はギャンブルや暗殺など、裏社会での生活を送っていたと推測されます。しかし、妻と出会い、恵が生まれたことで精神的に安定し、普通の生活を送っていたようです。実際、暗殺の仲介役であった孔時雨が、甚爾が苗字を変えていたことに気づかなかったことからも、妻と出会ってからは暗殺の仕事をやめ、真っ当な生活をしていたと考えられます。

 

伏黒甚爾「よかったな」の後に自害した理由

伏黒甚爾は五条との戦いで一度は命を落としましたが、その後、渋谷事変で再び復活しました。偶然にも息子である恵と戦うことになった甚爾は、暴走状態にあったものの、恵の顔を見た瞬間に意識を取り戻します。

そして「よかったな」と息子に語りかけた後、自ら命を絶ちました。この行動にはどのような意味があったのでしょうか?その理由を考察していきます。

 

元々現世に興味がなかった

甚爾は生前から生への執着が薄い人物でした。作者の芥見氏も「甚爾は現世に興味がない」とファンブックで述べています。恵の母が亡くなったことで彼は生きる意味を失い、その時点で既に現世への興味を失っていたのかもしれません。

だからこそ、自ら命を絶つことにも抵抗がなく、むしろ清々しい死を迎えたと言えるでしょう。

 

伏黒恵を守るため

甚爾が自ら命を絶ったのは、息子である恵を守るためでした。渋谷で復活した甚爾は暴走状態にあり、自我を失ったまま殺戮を繰り返していました。しかし、恵の顔を見たことで一瞬自我を取り戻し、その間に息子を傷つけないために自ら命を絶ったのです。

渋谷の甚爾は本当の意味で復活したわけではなく、「甚爾の姿をした何か」でしたが、その最後の行動には父親としての愛情が感じられます。

 

伏黒恵の母との約束を果たすため

甚爾が自害した理由には、妻との「恵を守る」という約束を果たすためでもあったと考えられます。

禪院家で苦しい過去を経験した甚爾を救ったのが、妻であり恵の母でした。そのため、妻が亡くなった後も、恵を守るという約束だけは彼の中で生き続けていました。

自分を律するために自害を選んだのも、その約束を守るための行動だったのでしょう。

 

利用されることを避けるため

オガミ婆が孫に憑依させた甚爾に対し、「五条悟がいないなら、お前は術師を殺せ」と命令しましたが、甚爾は「誰に命令してんだよ、ババア」と激怒しました。

彼は、誰かに利用されることや指示されることに対して強い嫌悪感を抱いていたのです。禪院家での苦しい経験から、人の意思に振り回されることを極端に嫌っていたのでしょう。

そのため、オガミ婆に利用されることを避けるために、自ら命を絶ったのです。

 

伏黒甚爾「よかったな」セリフに至る経緯

ここでは、伏黒甚爾が「よかったな」と息子の恵に語りかけるまでの流れを解説していきます。甚爾というキャラクターは、死の間際まで無情な人物として描かれていました。彼はギャンブルを趣味とし、金のために人の命を奪うことに躊躇いがありませんでした。星漿体を殺害し、世界の行く末を変えた元凶とも言える人物です。

そんな甚爾が、どのようにして父親としての一面を見せたのか、彼の初登場から復活までを振り返っていきましょう。

 

伏黒甚爾の初登場は何巻何話?

甚爾が初めて登場したのは、原作8巻66話です。彼は、呪詛師集団Qと五条たちの戦いを見守る一方で、盤星教と共に暗躍する場面が印象的です。その後、甚爾は巧妙な策略を張り巡らせ、五条の精神を疲弊させ隙を作ります。そして任務完了間近の五条を不意打ちし、奇襲をかけました。天与呪縛によって強靭な力と呪力ゼロの肉体を持つ甚爾は、五条を翻弄し、最終的に喉を天逆鉾で貫き、一度は勝利を収めました。

 

五条悟との戦いで死亡

五条に勝利した甚爾は、星漿体暗殺の任務を完遂しました。しかし、五条は土壇場で反転術式を習得し、復活して再び甚爾に立ちはだかります。五条は無下限呪術の奥義である「虚式・茈」を使い、甚爾の体を抉り取ります。甚爾は瀕死の状態で、五条に息子が禪院家に売られることを告げ、「好きにしろ」と言い残して息絶えました。

 

渋谷事変にてオガミ婆の降霊術で復活

甚爾は死亡しましたが、11巻95話でオガミ婆の降霊術によって復活を遂げます。ただし、魂を降霊することは危険が伴うため、肉体の情報だけが孫に降ろされました。オガミ婆は、最強の肉体だけを降霊させ、渋谷を蹂躙しようとしますが、孫の人格が突如消え去り、甚爾の人格が復活してしまいます。これは、甚爾の肉体があまりにも強力すぎたためで、降霊術が失敗し、自我も失ってしまったのです。

 

自我を失い伏黒恵と対決

甚爾の肉体は天与呪縛の影響で呪力を持たないため、器の呪力を消費せずに顕現し続けることができました。このため、甚爾の肉体がこの世に存在し続ける異常事態が発生します。降霊術は「器の呪力が尽きる」という術式終了のタイミングを失い、甚爾は殺戮人形と化して渋谷を彷徨い続けました。偶然、息子の恵と出会い、彼を認識できないまま襲いかかります。

 

伏黒恵に気づき自害

恵と甚爾の戦いは、漫画13巻113話で描かれています。甚爾は宿儺並みの速度を誇り、恵を追い詰めていきましたが、捨て身の攻撃も甚爾には通じませんでした。恵が奥の手を使う覚悟を決めたその瞬間、甚爾の頭に生前の記憶が蘇ります。亡き妻との約束と息子のことを思い出し、自我を取り戻した甚爾は、恵に「名前は?」と問いかけます。恵の「伏黒」という答えを聞いた甚爾は、「よかったな」と言い残し、自ら命を絶ちました。

 

伏黒甚爾と伏黒恵の関係は最悪だったのか?

伏黒甚爾と伏黒恵の関係はどうだったのかについて掘り下げてみましょう。甚爾の最期のシーンは感動的ですが、それまでの彼の行動は「クズ」と言われても仕方がないものばかりです。しかし、この「クズ」な部分を知ることで、彼が最後に見せた「よかったな」というセリフが、より一層心に響くのではないでしょうか。

 

伏黒恵と津美紀の父親としての甚爾

甚爾は伏黒恵と津美紀の父親です。ただし、津美紀は恵の母が亡くなった後に、甚爾が付き合った女性が連れてきた子供で、血の繋がりはありません。甚爾は恵が幼い頃に、津美紀の母と共に姿を消してしまいました。そのため、恵は父親である甚爾の顔すらほとんど覚えていません。

渋谷事変で甚爾が一時的に復活した際、数十年ぶりに親子が再会しますが、恵は最後まで甚爾が自分の父親だと気づくことはありませんでした。

 

幼少期に息子を置き去りにした甚爾

恵が幼少期の頃、甚爾は恵を置き去りにして津美紀の母と共に姿を消しました。おそらく、その後すぐに津美紀の母とも別れたのでしょう。このような非情な行動が、甚爾の本来の性格を物語っています。ギャンブルに明け暮れ、適当な女性に寄生して生きるのが彼の生き方でした。

甚爾にとっては、他人に対する関心などほとんどなく、ただ自分を養ってくれる相手であれば誰でもよかったのです。そんな甚爾を一時的にでも丸くした恵の母親とは、どのような人だったのでしょうか。

 

禪院家の一員としての甚爾

甚爾は呪術界の御三家の一つである禪院家の一員でもありました。そのため、かつては「禪院甚爾」と名乗っていました。しかし、禪院家は相伝の術式を重視する術式至上主義の家系であり、呪力も術式も持たない甚爾は、家族からも人権を無視され、蔑まれていました。

幼少期には、嫌がらせとして呪霊の群れに放り込まれることもあったと言います。そんな家に息子の恵を売ろうとしていた甚爾の行動を考えると、恐ろしさを感じずにはいられません。

 

伏黒甚爾「よかったな」がかっこいい・感動する理由

伏黒甚爾の「よかったな」というセリフは、『呪術廻戦』の中でも特に人気が高く、多くのファンの心に残る名シーンの一つです。このセリフは、甚爾が恵に向けて放ったもので、アニメ第2期で子安武人氏が声を担当したことでさらに話題を呼びました。声が加わることで、キャラクターの感情が一層伝わり、アニメファンにも原作ファンにも強く印象に残るシーンとなりました。

 

伏黒恵の顔を見て正気を取り戻したから

甚爾が「よかったな」と言ったシーンが感動的なのは、彼が息子の恵の顔を見て自我を取り戻した瞬間だからです。確かに、正気を失ったキャラクターが大切な人の顔で意識を取り戻す場面はよくありますが、甚爾の場合は特別です。彼は息子の顔すら忘れかけていた不器用な父親でしたが、成長した恵の顔を見たことで、自分の息子であることに気付き、正気を取り戻したのです。その瞬間に垣間見えた、父親としての感情が胸に迫ります。

 

初めて父親らしい姿を見せたから

甚爾が感動を呼ぶ理由のもう一つは、彼が初めて息子のために行動を起こしたことです。恵の顔を見て正気を取り戻した甚爾は、「よかったな」と告げた後、自ら命を絶ちます。彼は、自分が生き延びるために息子を犠牲にすることを選ばず、恵を守るために自らの命を絶ったのです。普段は冷酷で人を殺して金を得ることに躊躇しない彼が、最後に父親としての役割を果たした姿が、多くの人の心に深く残りました。

 

悪人が見せる不意の優しさが胸に響く

「よかったな」が感動的である理由を考えた時、悪人がふと見せる優しさが印象的だからだと感じます。いわゆる「映画版ジャイアン現象」とも言えるかもしれません。普段は冷酷で悪事を働くキャラクターが、突如として見せる優しさや頼もしさが、見る者の心に強く響くのです。甚爾の「よかったな」というセリフが特に印象的なのは、彼が普段は見せない人間らしさを垣間見せたからこそ、深い感動を呼び起こすのではないでしょうか。

 

声優の演技が伝える感情の深さ

原作では、甚爾の「よかったな」というセリフは、普段と変わらない冷淡な口調で発せられたものだと受け取られていました。しかし、アニメでは子安武人氏による声の表現によって、想像以上に優しい口調で語られています。この声の演技は、息子を思う父親の感情を強く伝え、視聴者に大きな感動を与えました。妻を失ったことで甚爾は他人を顧みない生き方を選んでいましたが、このシーンでは、心のどこかで息子のことを大切に思っていたことが伝わってきます。

 

まとめ考察

作者が伝えたいことを考察すると、物語を通じて、人間の内面に潜む複雑さや矛盾、そして家族の絆や自己犠牲の本質を描き出しているように感じます。伏黒甚爾というキャラクターは、一見すると「クズ」として描かれる存在ですが、彼の行動や言葉の背後には、彼なりの愛情や葛藤が垣間見えます。彼の「よかったな」というセリフや、自分の命を絶つという選択は、表面的な行動とは裏腹に、深い親心や人間としての苦悩を反映しているのではないでしょうか。

作者は、甚爾というキャラクターを通じて、単純に善悪や成功・失敗で人間を評価することの難しさを伝えようとしているのかもしれません。人間は一面的ではなく、過去の行動や選択が現在の自分を作り上げる一方で、その裏には見えない葛藤や思いが隠れていることを示しています。特に、家族との関係においては、たとえそれが歪んだ形であっても、愛情や責任感が複雑に絡み合っていることを描き出していると考えられます。

最終的に、甚爾の行動は、自己の内面と向き合いながらも、最も大切に思う者のために、自らの命を犠牲にするという、究極の自己犠牲を選ぶことにつながります。これは、単なる「悪人」が最後に善行を行うという浅い描写ではなく、作者が読者に対して、人間の本質をより深く理解するよう促しているメッセージとも受け取れます。人間の複雑な感情や動機を理解することで、私たちは表面的な評価にとらわれず、より深い共感を持つことができるのではないでしょうか。

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