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君たちはどう生きるのかは気持ち悪い?

宮﨑駿監督による話題作『君たちはどう生きるのか』。その作品に対して、「気持ち悪い」と感じたという声が一部で上がっています。ではなぜ、この作品は「気持ち悪い」と表現されるのでしょうか?単なる不快感とは異なる、その奥にある意図と意味について考察してみます。

 

目次

君たちはどう生きるのかは気持ち悪い?

「虫を見るような気持ち悪さ」とは?

視聴者の中には、この作品を「虫を見るような気持ち悪さ」と例える人もいます。

それはホラー映画のような恐怖演出とは異なり、アニメーションというフィルターを通しながらも、リアルな「生」の側面に触れさせるような描写があるためです。

たとえば、主人公の眞人が自分の頭を傷つけるシーンでは血が大量に流れ、大きな魚を解体する場面や、アオサギ男の異様に腫れた鼻など、視覚的に強烈で、生々しい描写が印象に残ります。

これらは決して偶然や悪趣味ではなく、明確な意図をもって描かれているのです。

 

「醜さ」を描くという表現の選択

美麗なキャラクターや可愛いマスコットがあふれる昨今のアニメに対し、『君たちはどう生きるのか』では意図的に「整っていない」「不快に感じる」描写がなされています。

それは、「生きる」ことのリアルを伝えるために、綺麗な部分だけでなく、見たくない部分や不快さも含めて描こうとする姿勢から来ています。

歪んだ顔や不自然な動き、老いや傷といった表現は、経験豊富で高い技術力を持ったアニメーターでなければ成立しません。

あえて「醜さ」を描くことに手間と時間をかけているのは、それが命のリアリティの一部だからです。

 

あえて「気持ち悪さ」を描く理由

“生”の一部としての表現への挑戦

現代では「気持ち悪いもの」を排除する傾向が強く、学習ノートの虫の写真にすらクレームが入る時代です。

しかし、宮﨑駿監督はそうした傾向に対して明確なアンチテーゼを示しているようにも思えます。

『天空の城ラピュタ』のセリフにあるように、「いいまじないに力を与えるには、悪い言葉も知らなければいけない」。美しさだけでは真のリアルは描けません。

「気持ち悪さ」や「醜さ」も含めて、人が生きるということの本質に触れることができる。それがこの作品の真骨頂ではないでしょうか。

 

ジブリだからこそできた挑戦

このような挑戦的な作品が成立したのは、宮﨑駿というレジェンドの存在と、それを支えるスタジオジブリの体制があったからこそ。

作画や演出に妥協を許さない職人たちが集まり、長期的な制作スケジュールと資金力によって、他では真似できない作品が誕生したのです。

 

まとめ:不快さの中にある“真実”

『君たちはどう生きるのか』が「気持ち悪い」と感じられる理由は、単なる作風や演出ではなく、「生きるとはどういうことか」という深いテーマに正面から向き合っているからこそ。

その気持ち悪さすらも、作品が語るメッセージの一部であり、視聴者に思考を促す大切な要素なのです。

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